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諸事情により、ただでさえ例年よりも半月ほど遅れる開催と相なった、某女学園恒例の長距離走測定会は。その当日に日本列島を縦断する格好で襲い来た、台風並みの爆弾低気圧が大暴れしたお陰様。金曜に予定されていたものが翌日の週末へとずれ込んで。
【 三年生の皆様、スタートライン前へ集合してくださいませ。】
時折、低気圧への吹き戻しの風が強く吹くものの、からりと晴れ渡った空の青さが心地いい、師走に入ったばかりな 冬の初めの好天の下。校舎の裏手に広がるグラウンドには、真新しい白いラインも目に目映い、大きな楕円の輪が一つ。今日のためにと新たに描き直されたトラックであり。その一角からスタートし、トラック一周の後、学園の外延とちょみっとご町内の街路を巡ってから、グラウンドまで戻って来て“ゴールイン”というのが規定のルート。
「確か5キロでしたっけね。」
「う〜〜〜。」
剣道部のトレーニングの中でのランニング、トラックを2周半する1km走程度なら、どうってことはないウォームアップならしい、こちらさんだってスポーツ大好き少女のはずが。
「だってだって、
日頃の生活の中で、
そんな距離を“走る”必要なんてないでしょうに。」
ハイキングやトレッキングでなら、そのくらいドンと来いですがと。いかにも憂鬱そうに、目元へ泳いでくる後れ毛を振り払いつつ、細い眉をしかめていた白百合さんなのを、
「まあまあ、大体2時間後には
後片付け込みで全部終わってますから。」
「う〜〜〜〜〜。」
何とも曖昧な励ましで宥める赤毛のお友達の向こうでは、二年生お揃いの濃紺ジャージもようよう映える、しゅっとした痩躯を…とんとんとんと。軽快なリズムを刻みつつ、小さくステップ踏むよに跳びながら、その身を弾ませておいでの紅バラさん。全身のサスペンションを調整してでもおいでなのか、緊張もないままの余裕の表情でいる彼女であり。
「短距離走でも、同じような準備運動をなさってましたよね。」
体育祭で そっちこそが憂鬱だった平八としては、当時はその余裕がひたすらうらやましかったものの。短距離でも長距離でも態度は変わらずな久蔵であるのを見るにつけ、
「寡欲なお人ならではな恩恵なんでしょうかねぇ。」
タイムも順位も、特に意識してはない。そんな久蔵だからこそ、憂鬱だと思う要因もなくての伸び伸びと走れて、その結果、ああ、いい運動になった…と爽快感だけ味わえるのかなぁと。妥当なところを見いだして、感じ入ってた平八だったが、
「…でもね、ヘイさん。
そこに至るにはやっぱり、前提ってものがあるんですよ。」
「前提、ですか?」
並の人間ではこうは行かないとでも言いたいか。うんうんと大きく頷いてから、
「基本的な体力数値が高いとか、
体を動かすのが好き、
いやさ、毎日何分か走らないと、
生きてる実感が沸かない…ってほどのお人なればこそ、
心地いい結果もついてくるんですってば。」
この、おおむね楽観的で、ともすりゃ久蔵よりも天然なところ多かりしな七郎次の筈が、出来るお人は、所詮、私らとは素地が違う…なんてな言いようをなさるとは。
“わたしとしては、そっちのほうが驚きです。”
そっか、私も体育祭や学園祭前は、こういう毒を吐いてはお二人へご迷惑をかけたのですねと。ひなげしさんへ そこまで逆上っての反省を促したほどの変わりようであり。
とはいえ
「…シチ?」
何やら ごしょごしょと、お友達が二人だけにて会話していると、今頃気づいた紅バラさん。殊に、平八を挟む格好で、数歩分離れていた白百合さんのお声は、周囲を行き交う同級生たちのざわめきで覆い隠され、そちらへまで届いていなかったようであり。
―― どうかしたの?
白いお顔をひょこりと傾がせ。暖かみのある紅色の玻璃玉を思わす、それは無邪気な双眸が、愛らしくも瞬きながら向けられたのへは、
「……頑張りましょうね、久蔵殿。」
どんだけ憂鬱なんだろか、後ろ向きになっての恨みがましげに、いろいろと駄々をこねていた七郎次だったものが。日頃からも言葉少なな久蔵の、無垢な表情一つで全て一気に吹き飛んだらしいのが、これまた一目瞭然だった単純さよ。
「? ……。(頷、頷)」
平八の眼前を横切って延ばされた双腕が、紅バラさんの細い肩まで延べられの、白い手が肩の上へがっしと乗っけられ。ごめんなさいと言わんばかり、潤み始めてさえいた青い眸にじいと見つめられたとあって。どしたのどしたの、シチどうしたのという動揺半分、勢いに呑まれて頷いたその心情。ようよう判るぞという、こちらは同情半分ながらの苦笑が絶えぬまま、
「さ、さあさあ、次は私たちのスタートですから。」
時差をつけての先にスタートして行った、一年、三年の皆様へと声援送る二年生の皆様が、いよいよだぞと続々と集まるスタート地点までを、ひなげしさんがエスコート。一応、体育の授業で出した記録を元に、早かった人からという組分けをされ。整然と並ぶその中で、白百合、紅バラ、韋駄天二人が別々の列に分けられて。いいお日和じゃああるけれど、御々脚剥き出して走るのはちょっとと思うのが、お年頃の心理というもの。それでか皆さん、上下ともにジャージを着たまま、スタートの合図を待っておれば、
「位置について。…用意。スタートっ。」
号砲一発ならぬ、涼やかなホイッスルが高らかに鳴り響き、それっと飛び出したのが、上位の常連陣営の皆様で。中でも、金色の綿毛を走行風にたなびかせ、すんなりした腕脚を伸び伸び振っての、余裕で駆けてく紅バラさんには、
「三木様〜っvv」
「紅バラ様、ファイトっvv」
体調がよろしくなかったり、体が弱いということで長距離は無理との身ゆえ、見学に回られたお嬢様がたの声援が飛び交って。さながら、歌劇の花道よろしく、麗しの美少女を先頭に、外回りのコースへと向かう上位集団だったりし。さすがにペース配分は考えての歩調ながら、少しばかり前傾姿勢になっての軽やかな走りは、ストライドもシャープで躍動的なら、何と言っても爽やかなお顔のままなのが清々しく。先に出発なさった他学年のランナーの皆様が、ゴール目指して帰って来るのとすれ違いつつ、息も絶え絶えな一年生たちへと、罪なまでの嫋やかな笑みなぞお向けになるものだから、
「〜〜〜〜。///////」
「あ、○○様、しっかりなさって。」
「だ、大丈夫ですわ。」
だって紅バラ様が、頑張れって微笑って励ましてくださったんですもの、と。ゴールを前にしつつも リタイアしかかっていたお嬢様たちへ、意外な効果まで発揮しておいでのご様子で。
「凄いなぁ、久蔵殿。」
「感心しつつ、何してますか、シチさんたら。」
「あらあら、何のお話?」
だってアタシたちって仲良しじゃないのよと、さりげなくも…ひなげしさんのジャージの裾を、しっかと握っておいでの白百合さんだったりし。
「だってだって、ただ黙々と走るだけなんて。」
「そっか、つまりは途中で飽きちゃうんですね。」
苛酷だったり苦しかったり、そういう想いをするのは、ままスポーツだからいいとして。その道での世界制覇とかいう目標があるならともかくも、
―― スポーツレクリエーションの域で、
単に嗜みたいだけだというのなら。
球技みたいにチームの皆と声を掛け合うとか、同じフィールド、同じフロアの内で、和気あいあいと楽しんでこそ、
「だと思うんですよね。」
「それで、わたしだけでも視野の中にずっと入れとこうと?」
「ピンポンピンポン♪」
まだまだ元気なお声にて、その通りっと合いの手を入れる七郎次であり。
“…まあ、構いませんが。”
振り切ってまで置き去るつもりはそもそもなかったし、どうしようもなくの根気が続かぬお人ではなし、現に引っ張られている系の負担はまるでない。日頃は過ぎるほど しっかり者なくせに、妙なところで寂しがり屋さんなの、表出なさる人ですよねと。甘えん坊なお顔、素直に出してくれるのが、むしろ嬉しかったりしたひなげしさん。さあさ、せめて昨年の記録に後れを取らぬようにと、こちらさんもまた、順調なペースでたかたかと駆け続ければ。
「…あ、林田様。」
「白百合のお姉様。」
まずは、一番最初にスタートしていった一年生たちが、続々と帰って来るのとすれ違う。同じ門から帰って来る関係、校庭の内ではそれも仕方がなく。また、外回りのコースも、ぐるりと円を描くような“一周”コースではない箇所があり。ご町内の奥向きへ入った先が折り返し点となっていて、そこを折り返して来る先頭集団とどの地点ですれ違うかで、自分たちのペースも推し量れるのが…助かるような怖いような。
「二年生はスタートが一番最後ってのもヤなんですよねぇ。」
「後方集団にいると、途轍もなく遅い気がするからでしょう?」
全学年で一気に出発しては混乱が生じようからと、この計測会、時間差を設けた学年別のスタートとなっており。一年、三年、二年という順番になっているのも恒例の運び。初心者の一年生たちが遅れ始めるの、続いて出発した三年生たちが励ましつつ覆いかぶさる格好になるのが、後方集団には何よりの安心感を与えようし。脂が乗っての元気元気な二年生たちは、そんな皆様を置き去りにしないポジションに当たる、“殿(しんがり)”を担当するのが最適だろと、創立時代の体育担当のせんせえがたが決めたのだそうで。
「でも、そんなに、大変そうでも、ないじゃ、ないですか。」
「ううん、そろそろ苦しくなって、来たよお。」
ハッハッハッと規則正しい呼吸を続け、ストライドのペースもさほどには乱れぬまんま、あれほど渋ってたお人とは思えない走りっぷりで、現在のところ無難な順位をキープ中。昨日通り過ぎた大っきな低気圧の余燼というものか、吐く息が白くなるほども寒いという気温でなし。ちょっと暑くなって来たかなと、ジャージの前合わせ、少しほど開ける子も増えて来たそんな中、
「あ、」
「…バラ様が。」
「お速いわよねぇ。」
周囲を行く皆様のざわめきに教えられ、おやとお顔を上げたれば。進行方向からこちらへ向かって戻って来る、お友達のお顔が見えて。
「うあ、もう折り返して来ましたか。」
「去年よりもペースが速くないですか?」
たったかと足取りも軽やかに、早くも折り返して来た久蔵が道の先に見えたのへ、おおうと驚いたこちらの二人。驚くだけなら周囲のご学友たちも同じだが、
「…何か、おかしくないですか?」
「うん。」
何だか様子が訝しいなと、一瞥しただけで感じ取れるところは、付き合いの長さのみならず、相手への把握という面での、深い深い理解があってのことで。表情が物語ってるわけでなし、苦しげな呼吸や足取りになっているでなし。
そう。
苦しそうとかいうのじゃあなくの、だが。
二年生のジャージは紺色。それがため、常以上にスリムに引き締まって見えるはずなその痩躯…の筈が。腹部を押さえているのも妙ならば、そこが少しほど膨らんでいるのがありありしており。
「どうしましたか、久蔵殿。」
「………。」
向こうからもこちらは見えていたようで。住宅街に入って少し進んだ先という、それにしては…車の通行もなく、住民らの姿も見えぬ、自分たちランナー以外の姿はない、少しほど幅のある市道の上。とうとう向かい合うほども近づいたところで双方が立ち止まり、声を掛けて来た七郎次へ、言ったものかどうしたものか、少々逡巡したものの、
―― みゃあ
そんな鳴き声が聞こえては、もう誤魔化しも利かぬと観念したようで。ジャージの胸元、ファスナーをそっと降ろせば、そこには小さな毛玉が一つ。
「あ。」
「わあ、かわいいvv」
濃い茶系のキジトラというのだろうか、柔らかそうな毛並みの小さな小さな仔猫が一匹。お耳が大きく、胸元にふんわりと盛り上がった綿毛が真っ白いのが印象的な。後で調べたら、ブラウンクラシックタビー&ホワイトという種類にあたる毛並みの、
「メインクーンという種類らしいのだが。」
「首輪もしてますよね。」
こんな小さい仔猫に果たして要るものか、一丁前な赤い革の首輪も巻いた、いかにも育ちの善さそうな、綺麗な仔猫。
「どこも汚れてませんよね。」
「そういえば。」
ご近所のお屋敷で飼われてる仔じゃないんでしょうか。一通りを見回して得られた情報というところを刷り合わせて、それから。
「…もしかして、ついて来たんじゃあ?」
手短な訊きようをした七郎次へ、
「…………………。(頷)」
うんと、ちょっぴり間をおいてから頷いた紅バラさんは。別なお話の中にてご紹介したことがあるように、実は実は、子犬や仔猫に留まらず、牛や馬にも好かれまくりという、対動物限定、絶対女王様属性をお持ちのお方。(おいおい) 初対面の相手でも、はたまた、どんなに獰猛な癖の強い相手でも、吠えられたり襲い掛かられたりするということは一度としてなく。そりゃあ甘えられるか、大人しく屈服するか…なのは ともかくとして。
「ついて来てはいかんと。」
「言ったんですね。」
うんと頷き、人差し指を立てて、メッと言いもしたという素振りをして見せる久蔵だったが、
「みゃあvv」
「…成程。」
ちょうどお顔の前へと立てられた指へ、嬉しそうに小さなお手々をよいちょと延ばして来るあたり。
「小さすぎて言うこと聞かないってパターンだった訳ですね。」
「 …。(…頷)」
進む方向が真逆な同士だったこともあり、とうとう立ち止まってしまった三人娘。どうされたのかしらという視線を寄せつつも、傍らを通り過ぎてくご学友の皆様のみならず、
「あなたたち,どうしましたか?」
この区域の監督担当だった若いシスターが、何を立ち止まっておりますかと、修道尼服をひるがえして駆け寄って来たほどで。
「シスター・ガルシア。」
「あのあの、この子が。」
いやあの、決して立ち話している訳ではなくてと。思わぬ拾い物をしちゃったらしいお友達への、代理弁明に入る白百合さん。
「キュウゾ…もとえ、三木さんは子犬や仔猫に懐かれる性分でして。」
元いた場所から離れるばかりなのが忍びなく、さりとて、そこにいなさいと言って聞くような相手でなし…と。何が起きたかを手短に説明すれば、当事者である久蔵もまた、自分が来たほうを指差して、
「向こうの塀の下から。」
「ついて来たらしいんですね。」
確かに。飼い主さんが探しておいでというのなら、ここから離れるのはよくないだろう。だが、だからと言ってマラソン途中の彼女らが立ちん坊というのも困りもの。
「判りました。私は此処から離れませんから、一旦預かっておりましょう。」
ゴールして、寒くないように着替えてから、戻っておいでなさいと、その懐ろから小さな仔猫をそおと掴み出している久蔵に言い、
「あなた方はまずは折り返し地点へ。」
「あや、ばれたか。」
「あははは…。」
一緒に戻ろうとしかかった残りの二人へは、反対の方向をと指差されたの、言うまでもなかったのでありました。
◇◇◇
シスターからの指示へ、判りましたと頷いた久蔵は、そこからをどんなペースで駆けたやら。こちらもまた、言われた通りに折り返し点まで、行って戻って来た七郎次と平八の二人連れが、再び辿り着いた同じ場所へ、先んじて戻っていた紅バラ様だったのが、まずは驚きで。
『うあ、ちゃんと制服にカーディガンまで羽織っておいでですよ。』
『早い〜〜〜。』
マラソンが二の次になったんでしょうね。それにしたって、それくらいで こうまでとんでもなく体機能が上がるもんでしょか。
『ヘ、ヘイさん。話は後に しましょー。』
『そですね、息が、続かない。』
縁石にちょこりと腰掛けて、お膝へ乗っけた茶色い仔猫さん、愛おしげに白い手で撫でておいでの紅バラ様のお姿には。マラソンランナーたちのみならず、通りかかった通行人の皆様までもが、おおお、なんて眼福なと、ついつい足取りを緩めもしたそうで。
『えええ? それってどの地点でのお話ですか?』
『いやだ、私たち拝見出来なかった。』
それは心温まる光景だったの、仔猫の愛らしさと紅バラ様の高貴なお姿がまあまあよく映えて、と。思わぬ取り合わせを目の当たりに出来た人たちの噂話を聞いては、一目でも拝みたかったと悔しがる、紅バラ様シンパシィの皆様の悲鳴も聞こえたほどに。マラソン大会だったはずなのに、参加者の関心までもが、そっちにすっかりと攫われてしまった恐ろしさ。
「…そういや、久蔵殿、今年は何位だったんですか?」
「???」
そのまま期末考査態勢へとなだれ込んだもんだから、そういや訊いてなかったなと、今頃思い出してるほど“二の次”にされていた記録測定会で。最終ランナーが通過していっても、その仔猫の飼い主ですというお人はとうとう現れはしなかったため。
『どうしましょうね。』
まさかに、この寒空へ放り出してしまう訳にも行かず。さりとて連れて行ってしまっては、探しているやも知れぬ人には行き先が伝わらぬ。
『連れて行くって?』
何処へ?と訊いた平八だったのへ、久蔵が自分のすんなりとしたお鼻を指差して見せ、
『シチのところにはイオが。』
『それはそうなんだけど。』
まだまだ赤ちゃんという小ささなものだから、抱っこしてしまうと離しがたいようと、名残り惜しそうにする七郎次へ、
『猫の嫉妬は強烈だぞ?』
ましてや、イオはまだ仔猫だったろうがと、そういやそちらのアビシニアンちゃんにも好かれていた久蔵が、きっちりと把握した上でのご忠告をくださって。
『ですが。明日は日曜ですし、
週が明ければすぐにも期末考査でしょうに。』
彼女らにしても、そして、一年生へ英語を教えてもおいでのシスター・ガルシアにしても、仔猫のお家は何処ですかと、捜し回る訳にも行かぬでしょうと。スケジュールが詰まりまくりの方々が顔を見合わせてしまったものの。
『それではこうしましょう。』
シスター・ガルシアが出した提案というのが、
・この周辺へ
迷子の仔猫を預かっておりますという張り紙を張らせていただき、
連絡を待つ。
・連絡先は女学園の事務課とし、
お話はシスター・ガルシアが伺いますという手配にして、
預かっている先様や関係者の個人名は出さない。
というもので。成程 それだと、個人情報まで明かさずとも連絡は通じようし、問い合わせる側への目印としても判りやすい事この上なかろう。預かっておりますよという状況へも、信用をおいてもらえそうだしと、少女らも納得し。それではと、その場からそれぞれのすべきことへ向かって四散した皆様で。シスターは学園のPCやプリンターでポスターを作って付近へと貼りに出たそうで。久蔵ら三人娘は、仔猫用のゲージと仔猫用のミルクや離乳食を最寄りのペットショップで買い求めた上で、三木邸まで厳重に見守りつつの帰宅を果たして。
「母も気に入っていた。」
「そうでしたか。」
試験期間中は、公正を期すという規則から、職員室へも近寄れない身だった彼女らでもあったので。シスター・ガルシアとも顔を合わせる機会は持てずで、連絡が入っているのかどうかも判らぬまま、一週間を過ごしたことになる。英語の教諭でもあるシスターではあるが、自分たちの担当じゃあなしということで。話だけでも聞いておこうと、教務担当のシスターたちが使っているお部屋を目指し、校舎の端から端へという横断を果たした彼女らで。
「シスター?」
「シスター・ガルシア?」
年季の入った木製のドアを、品よくノックしたものの、どうしたものか応答はない。出掛けておいでなのかなぁ。宿舎のほうへ戻られたとか? いやいやそれなら、そっちの掲示ボードの名札が引っ繰り返ってるはずだと、此処ならではなシステムには通じておいでの彼女らでもあり。
「お邪魔します。」
中で待たせてもらおうよと、ノックをしながら扉を押し開けば、
―― がたた、がたっ、と
思わぬ突き飛ばしようをされた木製のキャビネットが倒れかかったような。そんな不穏な物音が響き。え?と顔を見合わせた彼女らの視野の端を、何かがサッと大きく退いてく気配がよぎった。
「…っ!」
「あ、ちょっと待った、久蔵殿っ!」
反射的にそれを追おうと仕掛かったお友達。これまで何度となく取っ捕まえ損ねて来たそのお相手を、今度こそはと両腕で抱きとめて。七郎次がその飛び出しを阻止している。
「?」
「何だじゃありません。」
そんな危険なことをしてどうしますかと。久蔵が敢行しかかった“追跡”を七郎次が許さなんだのは、
「シスター!!」
貧血や何やでの昏倒とは思えぬ、明らかに不自然な姿。荒らされた部屋の中、横手の書架からこぼれ落ちたのだろう、書類の綴りや本をその身へばらまかれ、床の上へと倒れていた修道尼服の女性があったから。他とは比するまでもなく、平穏平和な場所であるはずな、女学園の奥向きにて、一体何が起きたのか。外からの冷たい風にひるがえる、カーテンのはためきの音だけが、寒々しくも単調に響いていた室内だった。
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*七郎次さんトコのイオちゃんというのは、
『夏姫たちのエチュード』の冒頭、
シチさんの知り合いの家へ三人娘が見に行った
…と記した仔猫さんのことです。
アビシニアンで名前は“イオ”としたのは、
蜻蛉さんちの仔猫さんとお揃いにしたものでして。
意味が知りたいお方は
向こう様のアラビアン(救済帳)へGO!

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